犬の食事を考えるときにいつも気になるのは、「犬の体に合った食材はどれなのか」ということ。犬の体に良いものを与えたいと思っても、それが本当に愛犬にとって良いものなのか、インターネットなどで見つかる記述はまちまちで、なかなか見極めが付かずに悩んでいる飼い主さんも多いのではないだろうか。
ドッグフードに入っている原材料を見ても、それが犬の体にとって何を意味するのかが分からなければ意味はない。例えば私達日本人の体だって、ヨーロッパ人と違って多くの乳製品や肉類を食べられるようになっていないのは、私たちの先祖が長い間“日本の食事”を続けてきたからである。犬だって同じように、食に対する体の性質というものがあるだろう。住む国は違っても、生まれ持った体の性質はそうそう簡単には変えられないのだから。
例えばダックスフントはドイツ原産なので、「豚肉(ソーセージ)とジャガイモがいいだろう!」と思うかもしれない。でもドイツだからってソーセージとジャガイモばっかり食べているわけではないし、そもそもジャガイモがドイツで栽培され始めたのは17世紀に入ってからで、犬の体の歴史からみるとまだまだ浅い。
犬が人に管理されながら飼われるようになり、比較的コンスタントに食事を取れるようになったのは10世紀頃といわれている。10世紀といえば中世半ばのころだ。ということは、中世から近代にかけて人々がどのような食事をしていたのかを見れば、当時の犬がどんなものを食べていたかを垣間見ることができるはずだ。
ダックスつながりでドイツの話を続けると、ドイツという国は地理的気候条件からしてそもそもそれほど作物の採れる土地柄ではなかった。今のように流通手法も保存技術も発達していたわけではなく、食材は季節と地域によってかなり限られたのだ。香辛料も、地元で採れるハーブや塩などが中心で、遠くの国から運ばれてくるようなものは、貴族など金持ちしか入手できない時代だった。
11世紀頃になって気候の変化に伴い、ドイツでは穀物と野菜の栽培が増えたが、日本の年貢制度と同じく、収穫した穀物や野菜などの多くを領主に納めなければならない制度があった。その頃の絵画を見ると分かるように、猟犬種は領主に占有的に飼われており、農民の周りには名もない雑種の犬達が暮らしていたのだ。領主は猟犬を連れて猟に出るため、農民に比べて動物性タンパク質を多く得ることができ、それはつまり、猟犬種とそれ以外の犬では食べ物が異なっていたことになる。
またこのころから徐々に農耕機具も発達して収穫が増えて、食糧面で少し余裕が出始め、犬がおこぼれをもらえるチャンスもだんだんと増えてきた。
1345年に書かれた、ドイツで一番古い料理本に載っているレシピによると、農民達が日常的に食べていたものはパン(当時は技術的な制約もあり、今のような白い小麦粉ではなく全粒粉。パンはすべて全粒粉で作られていた)とキャベツ類、甜菜にそら豆だったとのこと。その一方で、領主や貴族はそのようなものは口にせず、ほうれん草やラディッシュなど季節の野菜や獲物が中心だったという。猟に使うために猟犬を手厚く飼養していた貴族とは逆に、自分たちが食べるのに精一杯だった農民達が、犬に食糧を分けてやる余裕はそれほどなかっただろうというのは容易に想像できる。フランスやイギリスにおいても事情は似たようなもので、やはり貴族と農民の間に食材の差というものがあった。
今私達が見ている犬種の多くは、実は19世紀になってから純血種としてブリードされたものが多いので、当時貴族に飼われていた猟犬種と完全にイコールなわけではないが、例えばダックスフントの先祖であるブラッケ※とポインター系、そしてスパニエル系の犬達は、中世時代にヨーロッパ全土で貴族に飼われていた猟犬の代表格であった。
ブラッケから改良されて作られた犬種であるビーグルやダックスのほか、ワイマラナーやイングリッシュ・ポインター、アイリッシュ・セッターといった猟犬種達は、貴族のステイタスシンボルでもあったが、普段はパンと穀物で作ったスープを中心に与え、猟の成果が上がったときにその報酬として獲物(ウサギや鹿など)の一部が犬にも分け与えられるという慣わしだった。そんな時代が、近代になるまでの何百年も続いたのだ。マスチフなどの闘犬・護衛犬種もまた、猟犬種と似たような待遇を受けていたと思われる。
*ブラッケ:数ある猟犬のタイプの一つ。猟欲が強く、森やフィールドで獲物を情熱的に追う猟犬の総称としても呼ばれる。
同じ貴族に飼われていた犬でも、パピヨンやイタリアン・グレーハウンドなど貴族のご婦人方に愛でられた小型の愛玩犬種は、猟犬種よりも身近に貴族と接して暮らしていただけに、もっと豊富な食材を分け与えられていたようだ。
では一方で、農民の周りに暮らしていた犬達はどのような犬だったのだろうか。そもそも中世の時代には犬と人間は現在のような関係にはなく、むしろ犬は疫病の原因となる不潔な存在として、農民達は好んで手を出すことをあまりしなかった。
そんな中、農民が自分達の身の周りに置いていたのは、耕作地に蒔いた種をついばむ鳥を追い払ってくれるスピッツ系の犬や、粉ひき小屋の見張りをしてくれるシュナウザーのような犬がせいぜいで、ほかには町の中で見世物としての闘犬(相手はクマ)や荷引き用の犬、穀物倉庫周辺ではネズミを狩るテリア系の犬たちなどが、当時描かれた絵画に残っている。それ以外の犬たちは、半野良状態で町の中をうろつきエサを漁って回っていた。
……ここまで話をしていて気付くのは、「犬は肉食」「元肉食」と言われつつ、歴史的にはほぼ雑食だったということだ。なんといっても今ほど食糧が豊富な時代はなく、近代まではとにかくその土地で採れるものしか食べることができなかった。そんな時代が「犬」の歴史のほとんどなのだから、犬の食事内容もかなり引き算をして考える必要がある。
例えばチワワを例にとると、当然のことながら原産国であるメキシコの食事を見なくてはならない。チワワという犬種は、アステカ文明の時代にいたテチチという小型犬が16世紀に入ってからチワワ地方に持ち込まれて作られたという説がある(いろんな文献によると、テチチの存在は2000年以上続いたとされている)。
当時アステカでは、トウモロコシを中心に豆類やカボチャ、アマランス、シア、そしてハーブなどが盛んに栽培され、動物性タンパク質は湖と川で穫れる魚が中心だった。人の近くで生きている犬であれば、やはりこういった人が食べている食材を食べていただろう。柴犬なら、やはり昔の日本の食卓を見ることだ(柴犬用フードと呼ばれるものの多くに魚が入っているのは伊達ではない)。
アメリカ原産とされている犬にいたっては、そもそもアメリカという国自体歴史的には新しく、またほとんどの犬種が近年になって他国から持ち込まれて改良されたに過ぎないのでアメリカの食事が犬の体へ及ぼす影響というのはあまり考えられない。
しかし、昔の食事が犬にとって完璧なものだったかというと、もちろんそうではない。繰り返しになるが、昔は現在のような流通方法も保存技術も発達しておらず、ヒトも犬も今より限られた食材を食べて貧しく暮らしてきた。食べられる食材も機会も限られていたことから当然栄養失調に陥ることもあり、病気に罹りやすい状態で、ヒトも犬も今ほど長生きできなかったのだ。
近年になって科学が進歩し、ドッグフードなるものが作られ、ビタミンやミネラルといった「生きるのに必要な栄養素」がふんだんに盛り込まれた食事を犬が摂るようになって、犬の寿命は着実に伸びてきた(寿命が延びるにつれ、それに伴ったいろいろな問題もまた起こってはいるが)。
「体に良い食材」というと、人間基準で考えてどうしても欲ばってしまいがちになるが、「体に負担の少ない食材」と考えると、やはり歴史にヒントがあるのではないだろうか。現代科学の知見と犬の体の歴史がうまくバランスを取ったとき、犬の体が一番楽に暮らせるのではないかと思う。