遡ることおよそ2か月の、さる10月12日のお昼どき。八王子市にあるトリミングとドッグカフェのお店「funnyface」(ファニーフェイス)に、各地から“犬を仕事にしている人”が三々五々集まってきた。フラット・コーテッド・レトリーバーのこだわりのブリーダー(犬舎名:FUNNY-DOGS)である佐藤氏が経営するこのお店で、犬を仕事にする人(主にブリーダーが中心)を極々少人数だけ集め、セミナーを開催したのだ。連休最終日だというのに、一般のお客さんとセミナーの参加者で、店内はぎゅうぎゅう詰め状態。
話がハイレベルになるであろうこと、および“オフレコ気味”の話が少なからず混じることも考慮し、一般の飼い主さんは基本的に対象としない、とても少人数で開催されたセミナーだったが、幸運にもそこに参加でき「問題ないと思った部分※なら記事にしてもよい」という許可もいただいた。よってここに、その一部を抜粋して掲載しよう。
※ブリーダーが集まる場だったので、個別の犬舎の話や、細かい骨格構成の話、ヨーロッパでのドッグショーでの出来事など、一般の読者が読んでもあまり興味を持たないであろう内容も多々あったので、そういう部分は記事からは削除してあります。
氏は22歳のときに初めてボルゾイを飼い、その後、グレーハウンド、イタリアン・グレーハウンド、サルーキのブリーディングに励み(現在は主にサルーキをブリーディング中)、日本に1頭しかいない稀少サイトハウンドであるアザワクも飼育している。自分が育てたサルーキを日本人には売らないことでも有名らしい。
※BOB=Best Of Breed。そのドッグショーに出陳した犬種の中での最優秀犬のこと。
※CH=血統書に書かれるときの「チャンピオン」を表す記号。CHの後ろにカッコ書きで国名が付いたり、INT.CH(インターナショナルビューティチャンピオン。これは結構すごい)と書かれたりする。
そんな活動の中、様々な犬種の海外のブリーダーとの親交も多く、アメリカやヨーロッパのドッグショーを幅広く見ている氏は、今回のセミナーの講師として打ってつけ。氏は割と話し好きなようで、話の最中に次々と話題が広がってあっちへこっちへと飛び回っていたが、概ねとして話は「ドッグショー」と「ブリーディング」に終始していた。
なお予め述べておくと、本記事はブリーダー個人の見解に対し、筆者が対になるコメントを挟む形式で書かれており、当たり前だがどちらも個人の見解でしかない。この手の話題は非常にセンシティブな一面もあり、賛同と同時に否定もされると思われるが、むろん、書かれていることがすべて正しいことであると言い切るつもりはないし、押しつけるつもりもない。Jay氏という、ブリーダー歴/ドッグショー歴の長いプロフェッショナルの見解には少なくとも一定の真実を含んでいると筆者は思っているが、それも含めて読み手である皆さんの判断次第だ。
犬という“生き物”を話題の中心に据えるにあたって、数学の公式のような絶対的な正解というものはおそらく誰にも分からない。だからこそ、いろいろな人が研究し、見解を述べ、そこからまた新しい考え方が生まれ、それが次の研究につながるわけだ。そんな中で、みなさんが「犬」を取り巻く環境を考えるときのベースとして読んで、そして実際に考えるときの素材にしてもらえれば、そんなに嬉しいことはない。どうかそのあたりをご承知のうえ、お読みいただきたい。
なお、以下はドッグショーとブリーティングに関する話題が続く。大体の話が非常に専門的だったので(つまりここに書いていないことも山ほどある),帰り際に氏に「ちょっと業界人向けの話題が多かったので、ごく一般の飼い主に向けて、いいブリーダーを見分けるポイントを教えてください」と聞いたところ
いいブリーダーは、出産後40日を過ぎていれば、よほどのことがない限りメスを見せてくれますよ。メスを見せてくれないブリーダーはあまりいい印象を受けませんね。
とのこと。でも出産したのでボロボロだから見せられないと言われると、つい納得しちゃうんですが……。
ちゃんとした体格と骨格構成をしている犬であれば、出産後すぐであっても体形はほとんど崩れませんし、毛がバサバサになって貧相な見かけになったりはしません。ブリーディングに使うのに不適なメスが出産すると、ホントにボロボロになりますから。
だそうだ。みなさんが今後ブリーダーから犬を譲り受けるときの参考にしてほしい。まずは「いい犬」の定義から
そんな氏のセミナーは、「いい犬とはどういうものか」という問いから始まった。これがセミナー全体を通すテーマとなったわけだが、この「いい犬とはどういうものか」「何をもって“いい犬”と呼ぶのか」という問いについて、参加者からは「健全性」「後生に残すための要素を備えていること」などの声が聞こえた。Jay氏はそれらに頷きつつも、
ちなみに「良い犬」というのは、その犬種らしさであったりその犬の特徴であったり、そういうものがよく出ている犬のことを指すと思っているんですが、どうも昨今では「その犬らしさ」「その犬固有の特徴」などが若干失われつつあるように思います。そしてこれは、世界のブリーダーの中ではごく普通に言われていることでもあります。
※台メス=繁殖に使うメス犬、種オス=繁殖に使うオス犬
私は、自身がドッグショーに出たり、長いことショーの世界にいたりするわけではないが、素人だからこそドッグショーに感じている疑問の1つが、まさにここだ。ショーで勝ったら、チャンピオンを取ったら、それは「いい犬」なのだろうか。むろん、ショーで賞を取ることは相当に難しく、取れた時点で「(なんらかの)いい犬」であることは間違いない。でも、どこの何とも分からない雑種だって血統書がなくたって、飼い主にとってはいい犬だし、ショーで勝つばかりが「犬の正義」であるわけではないだろう。
そこは結局、突き詰めていけば我々飼い主側の不勉強が理由である気がする。「ショーで勝つ=チャンピオン=いい犬」だというイメージが強固に植え付けられているように思うのだ。むろん前述のように、ショーで勝つのは大変なことだし、莫大な労力をはらっていることだろう。それを否定するつもりは、もちろんない。ただ、あまりにも評価基準が画一化して先鋭化されてはいないだろうか。
なので「両親がアメリカチャンピオン!」だとか「チャンピオンの直子です」などの文言が、ショップの値札やネットブリーダーのキャッチコピーとして並ぶわけだ。ごく一般の飼い主にとって、「親がチャンピオン」だと嬉しいことって何があるんだろう? 親がチャンピオンだと、トイレを一発で覚えるんだろうか。親がチャンピオンだと、教えなくてもマテが出来るんだろうか。
もちろん改めて言うまでもないが、チャンピオンを否定しているわけではない。むしろ逆で、ドッグショーの世界を知れば知るほど、チャンピオンを作出するのがとても大変なことであることは理解しているつもりだ。これは、「チャンピオンの子だからいい犬」「チャンピオンの子だからしつけもいらない(?)」「チャンピオンの子だから高級」と考えがちな(自分を含んだ)一般の飼い主に対しての疑問提起である。
ドッグショーはちゃんと“犬”そのものを見るべき
ドッグショーといえば、犬はもちろんだが重要な要素はハンドラー。そのハンドラーについて氏は、※トロット=犬にとっての最も合理的な歩様(歩き方)。対角線上の2本の足でリズミカルに地面を蹴る走り方。人間基準で考えると、やや早足レベル。
例えば警戒心の強さは、よくサイトハウンド種に見られるが、サイトハウンドがピョンピョン元気に飛び跳ねながら、尻尾をプロペラのように振り回して喜んで触診されていたら、それはその犬本来の性質をよく受け継いでいる犬……なんだろうか? そしてそういう犬を「犬種標準」として残していいのだろうか。
もちろんそこはちゃんと理解されているので「触診をイヤがったらNG」とはいっても、そこは犬種によって若干異なる。前述のサイトハウンドであれば(その性質から考えて)少しくらいイヤがっても大丈夫だが、人に対して大変友好的であることが期待されるレトリーバー種などの場合は、そこはもう少し厳しく評価されて欠点となりうる。
ドッグショーにおいては、ショーマンシップやハンドリングテクニックなどが取りざたされることが多いですが、本質的にはそれはファーストプライオリティではありません。例えばヨーロッパのドッグショーでは、ブリード戦のハンドリングなんかはホントにびっくりするくらい下手です。「こんなので出ていいの?」というレベルでも普通にBOBを取りますが、それはちゃんと「犬」を見ているからです。
とあるブリーダーと話したときに、「coming and going※とside movement※を見れば、よっぽど変な走り方をしない限り、その犬の外見的特徴はほとんど分かる」と聞いたことがある。であれば、初心者のオナハン(オーナーハンドラー)が犬を引こうが、プロのハンドラーが引こうが、キチンとその犬の姿を見られるということだ。
※coming and going=日本のショーでは一般的に「アップ・アンド・ダウン」、または単に「アップダウン」とも言われる。ジャッジから離れて、折り返すように方向転換してからジャッジのほうに戻る歩き方。
※side movement=とくにドッグショー最中にそういうフェイズがあるわけではないが、横から動きを見ること。ラウンド(リング内を円を描くように動くこと。反時計回りと決まっている)がそれを兼ねる。
スタンダードの難しさ
……さて、ここまでドッグショーについて普通に書いてきたが、そもそもドッグショーとはなんだろうか。JKCによれば「ドッグショーとは、犬の姿形を審査する「品評会」で、それぞれの犬種の理想にもっとも近い犬を評価する目的で行われるもの」とのことだ(公式サイトより抜粋)。その「理想」を定めているのがスタンダードであり、このスタンダードが、ドッグショーのすべての規範となる重要な要素であるわけだ。ドッグショーは、元々は犬好きが(例えば酒場などで)一杯やりながら自分の犬を自慢するための交流から始まったと言われている。そうやって集まってるうちにそれが高じて、じゃあ年に1回くらいみんなで自慢の犬を持ち寄りましょう、となり、自分の犬を自慢したり、生まれた子犬を欲しい人にあげたり、1年前にもらった子犬の成長した姿を見せたり、そういう交流の場から始まったもの……らしい(詳細は不明だが)。
そうやって集まっているうちに、どうせなら標準の姿(=スタンダード)を決めましょう、そして誰が一番標準の姿に近いかを審査しましょうとなったのが今のドッグショーの始まりで、組織立ったショーが初めて行われたのは1859年のこと(もちろんイギリスの話だ)。ドッグショーそのものは、150年以上の歴史を誇る由緒正しい“ショー”なのだ。
つまり、そもそもからして犬種の姿をみんなで評価する“品評会”だったわけだ。今でも品評会であることはJKCも明言しているが、昨今のドッグショーは、勝ち負けへのこだわりがやや強すぎる気がする。ドッグショーを運営している側はそう思ってないかもしれないが、「優秀な犬を選出して繁殖の指針を示し、純粋犬種を後世に伝える」というドッグショーが果たすべき役割から、ややズレた方向に進みつつあることは否めない。
問題は、そういう人達であってもプロハンドラーに犬を預けることによって、勝率が上がりがちなことです。それによって「自分の犬はすごいんだ」「自分の犬はスタンダードなんだ」と思ってしまうわけで、それがさらに進むと、その犬の子供を作らなきゃ!と思ってしまいがちなんですね。
しかしJay氏が言うように、入賞する場合の少なからぬ要因として「ハンドラーの力量」があるわけで、それをもってその犬がスタンダードにバッチリ合致しているのかというと、そう言い切れないこともきっとあるだろう。
分かりやすくするためにちょっと極論ぽい話になりますが、例えば「体の幅がないものは不適切」だと言われている犬種があるとして、ジャッジが「これは幅があると思う」と考えたらもうそれでOKです。顔の形などにしても(スタンダードに照らし合わせると)「顔がワイドすぎる」と何人かがーー場合によってはブリーダー自身がーー思ったとしても、ジャッジが「これでちょうどいい」と思ったら、もうそれが“その場でのスタンダード”になります。解釈の幅が広すぎるのが難しいところなんです。
むろん犬は工業製品ではないので、それぞれの犬種についてある程度の“幅”を持たせた表現にしようとした苦労は大いに理解できるし実際にこれしか書きようがないだろうとは思う。しかしこれらを読んでその犬の理想の形を想像しろと言われても、それは正直無理な気がするし、その“幅”が悪い方向に働くと、氏の言うような事態に陥ってしまうのだろう。
ここは誤解しないでほしいのだが、それらの犬はスタンダード外だから駄犬だとか言うつもりはまったくない。生んだ犬にも生まれた犬にも何も罪はないし、ペットとして、コンパニオンアニマルとして幸せに楽しく一緒に暮らす分には、スタンダードとか賞歴とか血統書なんて本当にどうでもいいことだ(遺伝性疾患は非常に困るが)。
だがしかし、それとはまったく別次元の話で、犬種そのものの特質や姿はちゃんと残されていくべきだと思うし、それに関しては、ドッグショー自身が明言しているように大変重要な役目を負っていると思う。
スタンダードが犬の全てを司るとまでは思っていないが、「基本」を知っておくことは重要だ。クルマの運転も野球のピッチングも、自分に適したやり方はあるだろうが、基本を知らねば応用に達することはできない。
……ところで先ほど“品評会”と書いたが(というかJKCがそう書いているが)、まさにこれこそがドッグショーの本質である。あくまでも“ビューティーコンテスト”であって、犬そのものの本質や性格を見極めて評価する場ではない。
もちろん、だからといって一概にすべてを否定されるものでもないだろう。人間の世界にも“美人コンテスト”はあるが、“性格の優れた有名人100選”などというコンテストはない。見た目というのは外から見て分かりやすいので、優劣をつけやすい基準なのだ。車の世界には純粋な性能を競うレースがあるが、あれはさながらドッグレースのようなものだろうか。
なににせよドッグショーは、犬の「すべて」を総合的に評価/判断する場ではないことは明らかだ。そうと分かったうえで、ドッグショーという楽しいイベントとうまく付き合っていくべきだ。
チャンピオンに選ばれるとはどういうことなのか
でもこれは「日本のショーのシステムが悪い」という話ではなくて、ドッグショーに対する思想の違いなんですね。例えばヨーロッパなんかは、コンパニオンアニマル(ペット)の延長線上にドッグショーがあるわけです。これがどういうことかというと「楽しくやろう」「選ばれれば嬉しいけど、それがすべてというわけではない」「ほかのオーナーと会って話すのも楽しい」といった、そういうことを重要だと考えてるわけなんですね。それで食っているようなプロフェッショナルばかりでなく、愛犬と一緒に楽しくショーに参加するというカルチャーがあるわけです。
プロがプロのためにイベントを開くこと自体はそれで構わないのだが、もうちょっとイベント色/学習色を強くしてくれてもいいのになぁ、と思わないでもない。ブリーダーが手塩にかけて育てた美しい犬を見に行くだけでなく、もう少し違う形での「犬業界への貢献」というものもあると、もっとみんな行きたくなるし、それがやがては(経済的な意味だけでなく)犬業界の発展につながるはずだ。
氏が言うには、アメリカのドッグショーは「コンパニオン派」と「ショー派」に分かれているように感じられるとのこと。前者はヨーロッパ的な参加者で、後者が“勝ち負け”にこだわる参加者だ。その両方をキチンと受け入れることもまた、「参加者が減っている」(日本の関係者談)とされるドッグショーを盛り上げて、犬業界そのものの発展のためには必要なことのように思える。
……と書いていたら本記事の掲載直前に、皆さんご存じdog actuallyで、藤田りか子氏がまさにその話題で記事を書いていたのを見つけた。スウェーデンのドッグショーでは、犬種クラブがいろいろな質問に答えてくれるコーナーがあるらしい。なんとうらやましいことだ! 正直に言って、少なからぬ数の犬種クラブが事実上機能していない日本では難しいかもしれないが、こういう取り組みこそ、犬の数そのものが年々減っている日本においてはあってほしいイベントではないだろうか。犬の本当の姿を、そして生の声を伝えられるのは、愛情と情熱を持った飼い主だけなのだ。
血統書というものは、ブリーディングに必要な情報が書いてある紙だというだけで、ミックス犬(雑種犬)以外にはすべて血統書は付いているし、一般の飼い主にはほぼ何も関係のないものだ。それをありがたがったり(まぁ確かに言葉のイメージが“高級そう”ではあるが)、挙げ句、額に入れて飾ったりとかしていると聞くと、権威に弱いペーパー文化である真面目な日本人の特性が、悪い方向に体現されているように思える。
さらに、世界で活躍している別のブリーダーは「日本でドッグショーに出ることはまずない。何かのはずみで出たとしても、一生懸命やることはしない。日本では、30点の犬が80点の犬に勝つこともあるんだけど、それはいくらなんでもおかしいと思う」と語ってくれたことがある。
日本のドッグショーはダメだと言われることが確かにあるけれど、そうはいってもきっと似たような傾向は世界中である話で、日本がとりわけダメなわけではないのでは? これについてはそのブリーダーは、
「まぁ確かにアメリカも多少なりとも似た傾向があって、60点が80点に勝つこともある。でも、ちょっと違うんじゃないの?と思っても、やはり“それなりの犬質”はキープされていると思うし、いくらなんでも30点が80点に勝ったりはしない」と語る。
例えばアメリカだと、チャンピオンの完成までに15ポイントが必要です。しかしその15ポイントは、メジャーポイント(3〜5ポイント)である3ポイントを2回取ってさえいれば、あとの9ポイントは地方のどさ回りで稼いでもチャンピオン完成なんです。しかし「本当にいい犬」であれば、5ポイントのメジャーポイントを必ず2回以上取ってますし、それは俄然価値が違うものなんです。
ではランキングはどうだろう? こちらは純粋に犬の評価にはなりえないんだろうか。
実際のところそういう人がどれくらいいるのかは分からないが、もし一定数いると仮定すると、それはそれで(犬を譲り受ける側としては)なんだか腑に落ちないものもある。まぁ真剣に探せばそういう人にちゃんと行き当たるのではあるが。
ジャッジが抱える問題点
でもそれであれば余計に、グループ戦みたいな最初のほうの戦いはちゃんと「犬」を見て決めてほしいと思います。ステイができてラウンドできてアップダウンができれば……もうそれでいいんじゃないですかねえ。
グループ戦については同意できる。純粋に楽しみや趣味でショーに出しているオーナーだっているだろうし、繰り返しになるがドッグショーはそういう人を排除すべきではない。ハンドリングフィーを払ってハンドラーに頼むようなことも(たぶん)しないだろうし、BOBまでは純粋に「犬」で決めてもいいんじゃないだろうか、と思う。
ジャッジについてもう1つ、例えばアメリカなんかだと、自分の専門以外の犬種のジャッジを割り当てられたようなときはショー関連の雑誌を見て参考にすると、本当かどうか分からない話を知人から聞いたことがある。参考にするのは「このハンドラーとこの犬の組み合わせは結構選ばれてるな」とか「この犬は前回も選ばれたのか」とかそういう情報だ。
ショー関連の雑誌に載っている以上、一定レベル以上にある犬であることはおそらく間違いのないところだし、万が一品質の低い犬をチョイスしてしまったときには自分のミスジャッジの黒歴史としてずっと残るので、雑誌を参考にして決めることもある、とのこと。またその話をしてくれた人によると「日本は事実上“該当なし”と言えないので、正直ジャッジはやりたくない。例えばBOBやチャンピオンに適さない犬ばかりが集まっていたときに、それでも選ばないとならないので、結局は自分のジャッジ能力が疑われることになってしまう」とも語っていた。「“いい犬”を選んでいるわけではなく、“そのとき一番よかった犬”を選ぶのは、仕方のないことだ」とのこと。
また先ほど少し触れたが、ドッグショーについては、“ショー人口”とでも言うべき参加者が減っていると別の関係者から聞いたことがある。出陳頭数に大きな変化はないのだが、一人が複数出すことが増えていて、人口そのものは減っているというのだ。筆者は数値データを見たわけではないが、少なくともショー関係者の中にも、そういう実感を持っている人がいるということだ。純血種の姿を後世に残すという意味においては大きな意味を持ったイベントなので、これから考えていかねばならない問題であるように思う。
単なるオーナー視点で言うならば、ちょっと参加しづらいあの空気はなんとかならないかなぁ……と思わないでもない。興味があっても、なかなか行動する気になれない。
そして最後に、
また日本のブリーダーさんは、海外から入れてきた素敵な犬に近づけることは一生懸命考えるんだけども、それよりもいい犬を作り出そうという意識が少し低いように感じます。全米ナンバーワンの犬の血を継いでるなら、次に成すべきは「それを超えた犬を作る」ことなのに、それを考えている人は本当に少ないと思います。ブリーダーというものがもっともっと「いい犬」を生み出し、そしてドッグショーはちゃんとそれを評価して、犬業界全体がさらに良い方向に向かっていくことを願っています。
次回は後半戦、“業界人”に向けてブリーディングについての話題が続いた部分を抜粋して紹介しよう。