犬好きの人であれば、その名を一度くらいは聞いたことがあるであろう、ドッグトレーナー「シーザー・ミラン」。2004年からずっとNational Geographic Channel(ナショナル ジオグラフィック チャンネル)に番組を持つ彼は、世界で最も有名なドッグトレーナーだと言っても過言ではない。「DPC」(Dog Psychology Center)と呼ばれる、犬をリハビリするための広大な施設を作り、番組収録のかたわら、講演で世界中を回っている。「犬をリハビリし、飼い主を訓練する」「運動・規律・愛情の順番は絶対」「犬には何も責任はない」「犬が犬であることを尊重する」など、数々の名言が一人歩きしている感もあるが、それほどまでに欧米では彼の名は知られているのだろう。
日本のナショナル ジオグラフィック チャンネル(ナショジオチャンネル)でも、「ザ・カリスマドッグトレーナー〜犬の気持ちわかります〜」(原題:Dog Whisperer with Cesar Millan)、「ザ・カリスマドッグトレーナー〜犬の里親さがします〜」(原題:Cesar Millan's Leader of the Pack)、「シーザー・ミランの愛犬レスキュー」(原題:Cesar To the Rescue)などを放映しているので、「シッ」という彼独特の合図で犬が静かになる様(さま)を見たことがある人もいるだろう(ナショジオチャンネルが観られない人は、「ここ」や「ここ」などHuluで少しだけ観られます)。
彼自身のやり方には賛否両論あり、信奉者もアンチも多い。「褒めて伸ばす」「苦痛は与えない」「無理強いはさせない」が主流である現在のドッグトレーニング方法だが、彼は(今では“古い”とされている)オオカミのアルファ理論を適用するトレーニング手法を取る。常に飼い主が上に立つことを主張し、それを実行するために使う道具は選ばない。スパイクカラーどころか、場合によってはショックカラーさえも使う(観ている人であればお分かりのように、彼がそれを使うことは本当にごくごく希(まれ)なことではある)。
「シッ」と言いながら足裏で軽く犬を蹴るアクションも、観る人によっては嫌悪感をもたらすであろうことは想像に難くない。事実、デンマークなどでは公演が中止になったことさえある。またなにより、「エネルギー」という非科学的なもの(いまどきの日本風に言うと「オーラ」が一番近いだろうか)を引き合いにして話を進めることも多く、穏やかで毅然とした(calm and assertive)エネルギーなどといった表現をするので、そういう部分でも”胡散臭いもの”とみられがちだ。
だが、ナショジオチャンネルであれだけ長く続くシリーズになっているということは、少なくとも彼に共感し、彼によって救われた人が多いこともまた事実なのだろう。ナショジオチャンネルやAnimal Planetなどにドッグトレーナー系の番組は多いが、ここまで長く放映が続いているシリーズは、ほかにはない。
ここでシーザー・ミランについて長々と語っていてもキリがないのだが、そのシーザーが、ついにアジア圏に進出してくるようだ。いままでは、活動範囲が主にアメリカかヨーロッパ周辺に絞られていたが、先頃「Cesar's Recruit:Asia」というサイトが公開され(公開自体は少し前だが)、アジア圏への進出が明言されている。曰く「シーザーはアジア圏でのパックリーダーを探しています!」とのこと。日本は言わずもがなだが、お隣韓国や、急激に犬のペット産業が巨大化している中国など、シーザーが必要とされるシーンは確かに多そうだ。
Cesar's Recruit:Asia(英語)
応募条件は、やはりそれなりに厳しい。
・応募時点で21歳以上であること
・アジア圏に住んでいること
・少なくとも2017年7月30日まで有効なパスポートを持っていること
・英語に堪能であること
・肉体的/精神的に健全であること
・官公庁に勤めていないこと
という最低限の条件を満たしたうえで、必要書類を揃えて、写真と動画を添えて応募する必要がある。応募期限は2016年4月3日まで。しかもこの動画は「あなたが誰で、なぜパックリーダーになりたいのかを3分以内で説明してください。独創的にね!」とのことで、日本人はちょっと苦手そう……。そしてそれらの条件を整えて応募したとしても、シーザーのお眼鏡にかなう人はたったの一人。非常に狭き門だ。
なお今回の件でDPCを作るのかどうかは明言されていないが、応募要項のサイトを読む限りシンガポール、香港、台湾、タイあたりが活動拠点として候補になっているように見える(日本がない……)。まぁ日本はさておくとしても、急速に犬の数が増えている中国においては、ぜひ彼の思想なりを伝えて、悪い状況にならないようにしてほしいと願う。なにせ中国は2012年時点の統計データですでに、ペットとして買われている犬が2.68億頭もいるのだから(帝国タイムズ2015年10月25日号より)。
単純に考えて日本の約10倍の人口だとして、日本の犬の頭数はおおざっぱに約1000万頭。であれば中国は1億頭くらいで収まりそうなところだが、その2.7倍もいるあたり、中国でどれほどのペットブームが起きているのかが分かろうというものだ(ちなみに猫は1.07億頭らしい)。
犬に限った話ではないが、急激に市場が拡大すると、周辺事情が追いついてこないことが、ままある。しかし「自家用車がブーム」とか「スキーが大流行」とかそういう物質的な流行とは違い、ペットブームには「命」がついて回り、決してそこから離れることはできない。経済成長著しいアジア圏での犬猫ブームは、そこがおろそかになったまま突き進んでいるかもしれないという危惧を感じる。
CMで観たとかマンガが可愛かったとか、そんなレベルで流行りの犬種が決まってしまいがちな日本も人のことを言えた義理ではないが、そういう場所こそ、“カリスマ・ドッグトレーナー”の出番ではないだろうか。単に犬をトレーニングする方法だけではなく、犬という生き物について、犬との接し方について、犬との暮らしについて、そこまで踏み込んだ話を、ぜひ彼にしてほしい。
筆者は「英語に堪能であること」の時点で残念ながら脱落なのだが、我こそはという日本の犬好き/ドッグトレーナーは、ぜひ応募してみてほしい。そして願わくば、いずれ日本にもシーザーを誘致(?)して、我々飼い主を“訓練”してほしい。