犬猫が売られているようにはとうてい見えない、お馴染みの光景。飼育環境の数値制限は、いつ入るのだろうか。個人的には、8週齢より前にまずそちらだと思っているのだが |
アニマル・ドネーション(アニドネ)という団体をご存じだろうか。かつて、映画「ホワイト・ゴッド」の記事を書いたときに少し触れたが、アニドネ自体は先頭切って華々しい活動を繰り広げる団体ではないので、知らない人も多いかもしれない。先頭切ってないならじゃあ何をしているのかというと、事実上「NPOの認定団体」として機能している公益社団法人なのだ。そのときに記事で書いた内容を、そのままコピペしよう。
寄付者は、アニマル・ドネーションが寄付先として認定している団体のいずれか、または複数を選んで寄付できるようになっているのだが、この「寄付先」として認定されるには非常に厳格な審査が入る。団体の活動が審査されるばかりか、実際に取材を受け、各種の書類を山のように取り揃え……適当にやってるような団体では、ここの寄付先としては認定されない。
悲しいかな世の中の“NPO”にはロクでもない輩も一定数おり、一般人としてはいま一つ危険な感じがぬぐえない名称になってしまっている側面もあるが、少なくともこのアニマル・ドネーションに寄付先として認定されている団体であれば、変なところはないはずだ。実際に認定団体一覧を見ても、そうそうたる顔ぶれになっている。
そんなアニマル・ドネーションは、「動物のためにがんばる組織を支援する」だけでなく、一般の人に情報を提供する立場の我々メディアを啓蒙するという活動もこっそり(?)行っているのだが、今回、そんなメディアの勉強会で使われた資料が公開された。やや時間が経ってしまっているが、改めて紹介しておこう。※2019年1月8日、国別データを最新のものにしました。悲しいかな世の中の“NPO”にはロクでもない輩も一定数おり、一般人としてはいま一つ危険な感じがぬぐえない名称になってしまっている側面もあるが、少なくともこのアニマル・ドネーションに寄付先として認定されている団体であれば、変なところはないはずだ。実際に認定団体一覧を見ても、そうそうたる顔ぶれになっている。
2018.12メディア向け国別データ比較(アニドネ作成:PDFファイルです)
アニドネ主催 メディア向け勉強会をいたしました!(アニドネ活動ブログ)
アニマル・ドネーション公式サイト
資料を眺めて、日本の動物愛護も遅れを思い知る
今回勉強会で選ばれたテーマは「国別の動物愛護データ比較」。資料も、そのテーマに沿って作られている。下記のPDFファイルをダウンロードして見てもらえると分かるが、日本・ドイツ・アメリカ・EU・フランス・イギリスなど、各国の動物愛護に関わる状況を一望できる資料になっている。読者の皆さんも(そして筆者も)、断片的な情報はいろいろと知っていると思うが、こうやって網羅されて一望できる資料は、とてもありがたい。ぜひ一度ダウンロードして見てみよう。
皆が気になる殺処分数なども載っているが、少し前のインタビュー記事でも触れたように、(数だけで見るなら)アメリカの殺処分数はケタ外れ。そういうデータがいろいろまとまっているので必読だ。
アメリカの保護施設は、どういうポリシーで運営されているのかーーラスベガスの保護施設を訪ねてみた(2)
さて、資料をツラツラ眺めていて実感するのは、やはり日本はちょっと遅れているなぁ、ということ。筆者はとくに欧米コンプレックスのつもりはないし、なにがなんでも欧米のやり方が正しいと主張する気もない。それがなんであれ、日本には日本に適したやり方/進め方があるだろうと思っている。
が、それを差し置いてもやはり日本は「動物愛護」について遅れていると言わざるを得ない。それを実感するためにも、ぜひ一度資料は眺めてみよう。
生体販売がそもそもどうなのだとか、ブリーダーを規制する法律が実質存在しないとか(あるけど骨抜き)、寄付という概念が深く浸透していないので各種団体がうまく活動できないとか、というよりまず“愛護”という言葉をなんとかするべきじゃないかとか、いろいろな観点があると思うが、結局のところは国全体、言葉を換えると「飼い主」が抱える問題なのではないか、と思う。
動物は単に「命あるもの」というだけではない
さらりと見ると見逃しそうになるが、犬猫の数と市場規模を比較した場合、日本とイギリスが同じくらい異様に高いのが見てとれる(一方でドイツとアメリカも同じくらいだ)。洋服だの犬用ケーキだのと、日本の市場規模が大きいのはなんとなく想像がついていたが、イギリスはちょっと意外。どこにお金を遣っているんだろう? |
生体販売ショップで、熱帯魚の水槽くらいの場所に閉じ込められている柴犬を見てもなんとも思わない。庭につなぎっぱなしで朝も夕も一度も散歩に行かない。昼間はずっと留守番で散歩にも行かないけど、服を着せたり犬用ケーキをあげたりして飼い主は満足している。引っ越し先に選んだマンションが犬を飼えないので保健所に預ける(捨てる)。……そういうことに対して「もしかしてこれっておかしいのかも?」と皆が思わない限りは、状況はなかなか変わっていかないように思う。
犬が(動物が)「感受性も感情もある、言葉を話せないというだけの命ある存在」であることをまず理解し、その感覚をベースとして世の中をそういう方向に持っていかないと、いつまでも一進一退の進歩をするだけで、人にとっても動物にとっても住みやすい優しい世界はなかなか作られない。逆に言うならば、その感覚がみんなの共通認識としてベースにあれば、パピーミルは存続できないし、詰め込み型の生体販売ショップはお客が来なくて営業できなくなるし、愛護センターが“明日死ぬ犬猫”でいっぱいになることもなくなるだろう。そういう意味では、資料中にあるEUの定義、
「感受性のある生命存在」
というキャッチフレーズを、とても羨ましく思う(翻って日本はどうかというと「動物は命あるもの」だ。確かにこの20年ほどでずいぶん前進したが、いまそれを言われても……)。皆にその認識がないのであれば、なるほど、いつまでも飼育環境に数値的基準が設けられないわけだ。ドイツでもアメリカでもイギリスでも、数値的基準はキッチリ設けられているというのに。“生体販売ショップ”や“パピーミル”の皆さんが困るからなんでしょうか、と勘ぐりたくもなる。
余談だが「ドイツには生体販売ショップはないのだ」という定説がまかり通っているけれど、ドイツにも生体販売ショップはある。ただ、店舗経営にあたっての数値的基準があまりにも(経営的ポジションから見たら)厳しいため、ショップとして運営するのが現実的じゃないのでほとんど誰もやらないというだけ。数値基準があるがゆえ、だ。
犬に限らず動物愛護に関わる問題は、あまりにも多岐にわたっており、それぞれの立場の人がそれぞれのスタンスで発言するので、なかなかうまくまとまりきらないことが多い。でもきっと、ただ一つだけ言えることがあるとすれば、それは今まで書いてきたように「飼い主が変わらないと世の中が変わらない」ということ。犬税を強制導入するとか、犬猫の飼育を免許制にするとか、生体販売そのものを法律で禁止するとか、行政の力で無理矢理に方向転換することも(出来る/出来ないの話だけで言うなら)出来るし、実施されたら少なからぬ効果はあると思う。
でもそれは、結局のところ対処療法でしかない気がする。みんなの認識が変わらない限りは、本当の意味で「動物に優しい世界」は訪れない。ここ数年、ホントに素晴らしいことに「動物愛護」に関わる情報や活動は頻繁にマスメディアでも流れ、認知自体がとても高まってきている。このまま消えることなく大きなムーブメントとなって、それが国をも動かす力になれば、そのときこそ本当に「より良い世界」になるのだろう。
そしてそれには、まず飼い主の意識が変わらなくてはいけない。あなたの横にちょこんと座っているそのケモノはバッグやクルマのようなモノではなくて、意志も感情もあって、あなたと共に過ごすことがなにより楽しみの生き物なのだ。日本の愛護法の“動物は命あるもの”という表現を見て「なんだそりゃ」と思ったが、それすら理解していない人がいるのもまた、事実だ。
その第一歩として、アニドネの資料を見て、日本が遅れていることをまずは実感してほしい。「知識こそが力」なのだ。