僕はKindle版で読んだけど、手元に置いておきたいので書籍版も買うかもしれない |
たぶん同意してくれる人は結構いるんじゃないかと勝手に思っているんだけど、僕は基本的に犬が(というより動物が)出てくる映画や小説は一切目に入れないことにしている。場合によってはあこぎなまでに計算されたお涙頂戴話がなんだかご都合主義的でとてもイヤだし、動物が死ぬということをコンテンツ化していることもちょっと気にいらない。そしてなにより、そんなことは分かっていながらも前書きだけでーー映画であれば予告編だけでーー泣いてしまう自分がとてもイヤになる。
知り合いが飼ってたハムスターが死んでしまった話を聞いただけで泣きそうになるのに、ましてや犬が死ぬ話なんて。たぶん、無意識のうちに自分の犬の姿と重ねてしまうからなんだろうし、そういう意味では、きっとこれを読んでいる人の大勢がそうなんじゃないかと勝手に思っている。頼まれたってお金をくれたって、見たくない。
……なんだけど、2017年4月13日に出たばかりの、評価の高い「おやすみ、リリー」はなんの気の迷いか、読んでしまった。こういうものを見たくないと言いつつ無視できないので、なんとなくそういう情報を見かけるとちょっとだけ追いかけてしまうのだけど、読んだ人のレビューを見ていると、単なる“お涙頂戴”ではなさそうに思えたし、そしてなにより最後の後押しになったのは、訳者(越前敏弥氏)のあとがきだ。
いきなり白状しよう。小説の翻訳の仕事をはじめて二十年近くになるが、訳出作業の途中で涙がこぼれたことは二回しかない。一回目は、エラリー・クイーンによる名探偵ドルリー・レーン四部作の最終作『レーン最後の事件』のラストを訳していたとき。そして二回目は、この『おやすみ、リリー』だ。
どの場面だったかは、あえて書くまい。実は何か所がある。悲しいというより、命の尊厳、そして生きることにまつわる真実の核心に突きあたった気がして、涙が止まらなくなった。犬も猫も飼ったことのない自分がそんなふうになるなんて、まったく思ってもみなかった。(訳者あとがきより抜粋)
そうか。何か所かしか泣かないのか。きっとこれは「かわいそうなワンちゃん」と「愛犬の死にうちひしがれる僕」の悲劇が淡々と書いてあるお話じゃないんだな。それだったら僕でも読めるかもしれないし、考えたくもないけどいずれ必ずやってくる“そのとき”に備えて、何か得るものがあるかもしれない……と思ったのだ。それでも10日間くらい悩んだけれど。どの場面だったかは、あえて書くまい。実は何か所がある。悲しいというより、命の尊厳、そして生きることにまつわる真実の核心に突きあたった気がして、涙が止まらなくなった。犬も猫も飼ったことのない自分がそんなふうになるなんて、まったく思ってもみなかった。(訳者あとがきより抜粋)
なにせ僕は、家に15歳の黒ラブを筆頭に犬達がいるけれど、幸いなことにまだ“そのとき”を迎えた経験がなく、“そのとき”が来たときに自分が正常でいられる自信がない。それを想像しただけでも、心臓を鷲づかみにされるあの感覚がやってくる。誰一人それが来ることなんて望んでいないけど、生き物である以上、自分にも、愛する人にも、大統領にも、サバンナのライオンにも、庭のバッタにも、そしてあなたの横で寝ている愛犬にも、分け隔てなくいつかそれは訪れる。どんなにお金があっても、どんなに頭が良くても、誰にも防げない摂理だ。そのときに自分が自分を見失わないための何かを得られるのなら、ぜひいまのうちに学んでおこう。
「おやすみ、リリー」公式サイト
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そう思って読み始めたのだけど、やっぱり泣いた。結構泣いた。移動中の新幹線の中で後半を読んでしまったものだから、季節外れの花粉症のふりをするのに一苦労だ。なんだ嘘つき。やっぱりお涙頂戴じゃないか(いや自分が勘違いしていただけだ)。
車へもどると、ぼくはばかみたいに泣き崩れた。
どうしてリリーはぼくが迎えにくるとわかるんだろう? どうしてぼくがリリーを手放したわけじゃないとわかるんだろう?
ぼくを信頼しているからだ。
(第3節 無脊椎動物〜5年前 より)
でも真面目な話、とてもツラくて、とても悲しくて、愛情に満ちていて、すんなり心に入ってくるこのお話を、読んでよかったと心から思う。「さよなら、リリー」というタイトルから容易に想像できるように、愛犬を亡くすストーリーなのだが、最後はハッピーエンドで終わる。書いてて自分でも意味が分からないが、実際にそうなのだ(最後の最後、文字どおり最後の一行でもちょっと泣ける。どちらかというと“喜び”の涙だが)。どうしてリリーはぼくが迎えにくるとわかるんだろう? どうしてぼくがリリーを手放したわけじゃないとわかるんだろう?
ぼくを信頼しているからだ。
(第3節 無脊椎動物〜5年前 より)
作者と、おそらくはモデルであろうリリー(以下すべて公式サイト動画より)。「半自伝的小説」らしいので、作中の主人公と作者は完全にイコールなんだと思う。作中に出てくる人物の名前が、最後の「謝辞」にも登場する |
テッドは、リリーと普通に会話してモノポリーを一緒に遊ぶばかりか、リリーの頭に出来た腫瘍に「タコ」と名付け、そのタコと会話すら始める。読んでるこちらも、どこまでが現実でどこまでが非現実なのかが分からなくなってくるが、その合間合間に挟まる、テッドのリリーに対する、そしてリリーのテッドに対する無限の愛情に、ニヤリときたりほろりときたり、犬を飼っている人であれば「ですよね」と言いたくなること請け合いだ。
知ったかぶりの書評風に書くなら、リリーは完全に擬人化されていて、もはやここまでくるとファンタジー小説の域だ。会話してモノポリーゲームをたしなむばかりか、昔話をしたり好きな映画俳優についてテッドと言い合ったりする。
僕は犬を擬人化することがあまり好きじゃないので、そこだけはネガティブに捉えていたのだが、どうしてなかなか、これがまったく気にならない。というより、この擬人化にはちゃんと意味があって、最後にすべてが綺麗に収まっていく。見事なストーリーテリングだ。あと一つ付け加えておくなら、この本の擬人化は、とても心地よい。「このひとが! わたしの! かぞくに! なるのね!」なんて、いかにもパピーが言いそうだ!
あのいくつもの夜、ぼくがベッドで腹を立てていたことをリリーは知らないんだ。知っていたとしても、覚えていない。犬はいまを生きているからだ。犬は根に持ったりしないからだ。犬は感じた怒りを毎日、毎時間なかったものにし、けっしてわだかまりを残さないからだ。刻一刻と許し、忘れていく。角を曲がるたびに、そこには真新しい可能性がある。ボールがはずむたびに喜びが生まれ、新たな狩りへの喜びと希望が生まれる。
(第4節 吸引 より)
読みながら泣いて、読み終わってまた泣いて、仕事で疲れていた心が綺麗に洗われて、「やっぱり犬は最高だな」って思って、移動中だったのに即刻家に帰って犬達の匂いをかぎながら「さあ散歩に行こう」って言いたい気持ちになったが(そういうのありませんか?)、犬飼いから見たときのこの小説の本当に素晴らしいところは、主人公の心の描写だと思う。(第4節 吸引 より)
原題は「リリーとタコ」。「おやすみ、リリー」という、ひと目で意味が分かる味わい深い日本語にしてくれた訳者に感謝 |
この小説で、もっとも読むべきところは、そこだ。きっとみんな、本当はこうなんだろう。そんなに耐えがたくて直視できない現実を「そうか。生き物だもん、仕方ないな」とやりすごせるはずなんてない。きっとみんな、パニックになって、いや悪い夢かもしれないと希望をつないで、そんなはずのない現実に打ちひしがれて、やり場のない怒りに震えて、振り上げた拳を下ろす場所がなくて、自分だけにふりかかった不幸をののしり、決して明日が来ないことを知って、ヤケになって……そうやって刻一刻と心が揺れ動いていくのだろう。「だろう」「だろう」と書いているのは自分にその経験がないからで、もしかして経験者から見たら違うのかもしれないけれど。
いつまでも大好きだよ。これからも、ぼくが死んでからも。
(第7節 無限(∞) より)
テッドは、その感情を包み隠さず、すべてさらけ出している。僕だってきっとそうなる。すまして冷静でいられるはずなんてない。テッドの心とシンクロしすぎて手に取るように痛みが分かるので、友達みたいに声をかけてあげたい衝動にさえかられる。でもきっと、なんて言っていいのか分からないし、そのときに自分がなんて言ってほしいのかも分からないので、テッドの親友のトレントみたいに、精一杯気を遣った月並みな言葉になってしまう気がするけれど。(第7節 無限(∞) より)
「分かるよ。僕の犬の番になったときに、どうすればいいのか分からないし」
歯の浮くような言葉も、美辞麗句も、ただの一つも書いてないけれど、テッドのリリーに対する愛情は、心が痛くなるほど伝わってくる。結末は分かっているのに、読みながら心のどこかで奇跡を期待してしまう |
そして僕も“そのとき”がきたら、テッドみたいにみっともなくあがこうと思う。気取って本心を隠したり、オトナぶって達観する必要なんて、何一つないのだから。
「犬はいつだっていい子で、愛情いっぱいで、見返りを求めない。犬は混じりけのない喜びに満ちた存在で、何があってもぜったい、つらい目に遭って当然なんてことはない。特にきみはそうだ。ぼくたちが出会ってからずっと、きみのすること何もかもがぼくの人生を豊かにしてきたんだ。わかるかな」
(第6節 漂泳区 より)
(第6節 漂泳区 より)
「おやすみ、リリー」
著:スティーヴン・ローリー
訳:越前敏弥(「ダ・ヴィンチコード」他)
ハーパーコリンズ・ジャパン
ソフトカバー単行本
書籍版価格:1728円(税込み)
Kindle版価格:1512円(税込み)
ISBN:978-4-596-55205-1
著:スティーヴン・ローリー
訳:越前敏弥(「ダ・ヴィンチコード」他)
ハーパーコリンズ・ジャパン
ソフトカバー単行本
書籍版価格:1728円(税込み)
Kindle版価格:1512円(税込み)
ISBN:978-4-596-55205-1