神奈川県が、2年連続で犬猫殺処分ゼロを達成したことを発表したのは、つい数日前のこと。正確には「犬は3年連続殺処分ゼロ、猫が2年連続殺処分ゼロ」なわけで、この素敵な内容に引っ張られて、メディアや個人ブログなどを問わず各所で大きく報道されていたので、目にした人も多いと思う。
「犬と猫の殺処分ゼロを達成した本県は、次のステージを目指しています。命を救うだけでなく、責任ある飼い主と互いに良きパートナーとして生涯を幸せに暮らせるよう、動物愛護の拠点として、新しい動物保護センターを作っていきます」(県の公式リリースより引用)とのことで、これ自体は素晴らしいことで、殺処分ゼロを達成したことに対しては素直に感謝の意を表したい。
だがしかし、保護犬を取り巻く状況にある程度詳しい人ならなんとなく承知していると思うが、現実にこの殺処分ゼロは(広島なども同様だが)事実上「センターにいる動物で引き取り手がない個体を保護団体が引き受けている」からなのだ。殺処分する前に引き取っているという話であって、一部で報道されているような過度な美談ではないし、パッと聞いたときに誤解するような“センターに収容されている犬猫がいなくなった”というわけでもない。
平成27年度も、犬と猫の殺処分ゼロを継続〜ペットのいのちも輝く神奈川の実現に向けて〜(県の公式ページ)
2年連続の犬猫殺処分ゼロを発表 神奈川県(Yahoo!ニュース)
誤解しないでほしいのだが、それが悪いという話ではない。現実として救われている命は多くあるのだし、報道されることによって「殺処分」というおぞましい“行政”を多くの人に知ってもらうことができる。それによって、何かが変わっていく可能性だって十分にあるだろう。そもそも、実際に引き出しをしている保護団体にしても、我々の想像を超える努力をしているはずだ。
殺処分される犬猫をゼロにしたい保護団体側の思惑と、殺処分ゼロを謳いたい行政の思惑が合致して利害が一致しているわけで、何も問題はない。なにより無駄に殺される動物が減るのは本当に素晴らしいことだし、できることなら、他県でもぜひそういう活動が進んでほしいとさえ思う。
しかし結局のところ抜本的解決になっていないことだけは、認識を新たにしておく必要があると思う。報道されることによって殺処分の存在が広く知られるようになって、ここでようやく「スタートライン」に立ったとさえいえるかもしれない。本当の意味での「殺処分ゼロ」は、(わざわざここで言うことでもないが)まだ遠い道のりなのだ。
次から次へと子犬を生産するパピーミルやキッチンブリーダーが悪いのか、それを言葉巧みに売りつける悪徳生体販売ショップが悪いのか、それとも買う(飼う)だけ買って飽きたり面倒になったりしたら捨てる飼い主が悪いのか。おそらくはすべてのフェーズに問題があるのだろうし、その1つ1つを解決していかねばならない。それらはみなリンクしている問題なのだ。
また“殺処分ゼロ”を達成しようと思うと、それは言い換えると「殺せない」ということでもある。ひとたびセンターに収容されてしまったら、どんなに重症であっても、立てないくらい衰弱していても、安楽死ができないのだ(その瞬間に“殺処分1”というカウントがついてしまう)。それは結局、彼らの苦痛を増やしているだけなのではないだろうか。それが本当に、犬猫たちにとって「良いこと」なんだろうか(単に言葉の定義の問題だろうし、安楽死については賛否両論であることは重々理解しています。私にもその判断をくだせる自信はありません)。
当たり前だが、行政の担当の人だって殺処分をしたいわけではない。「殺処分反対」を訴える気持ちはとてもよく理解できるが、それをクレームとして真正面から行政に言っても仕方がない。決して肩を持つわけではないが、行政も、限りある予算をありとあらゆる場所に分配して業務を遂行しているわけで、その過程で「殺処分」という道を選択しなくてはならないことだってあるだろう。もちろん、さほど興味がなくてやる気がない行政もあるかもしれないが、少なくとも現場で働いている人達が、殺処分をしたくてしているわけはないと思う。
本質的な問題は行政にあるのではなくて、“殺処分を選択させてしまう、飼い主を含んだ業界全体”にあるのだ。それを皆が認識して改めていかない限り、いつまでも同じことを繰り返して、保護団体の皆さんが疲弊していくという負のスパイラルが続くだけだ。
また行政にしても、どうせなら「殺すための1億円」ではなくて「生かすための1億円」になるような改善策を、可能な限り考えてほしいと思う(公式発表を読む限り、神奈川県はその方向に進んでくれそうな気がする)。殺処分というのは、いまそこにある“やっかいごと”を処理する方法としては手離れがよいのかもしれないが、誰一人としてハッピーになれない、不幸な命を増やすだけの悪手だ。
そもそもそれは税金を使って行われているわけで、納税者である我々としても、ポジティブに使われるほうがとても気持ちがよい。もしかしたら、収容期間を少し延ばすだけでも、何%かの犬達は救われるのかもしれないし(いつも思うのだが、犬を取り巻く環境を向上させる特定財源として、目的税としての犬税を徴収できないものなのだろうか)。
犬を取り巻くさまざまな問題の中で、もっともダイレクトに感情に訴えてくるのが、保護犬と殺処分の問題だ。だからこそいつも感情論ですすみがちで(そしてその気持ちもよく理解できる)なかなか前へと行けないのだが、これを期に、ぜひ一度真摯に考えてみたい。殺処分に関する問題を本質的に解決しようと思ったら、「可哀想だから助けなきゃ」というシンプルな話だけでは決して終わりが見えない。ザルでは決して水をすくえないのだ。水をすくうには、まず穴をふさがなくてはならない。
幸いにも業界の一部では、違う業者同士が連携してその問題を大局的に捉えようという動きも出てきているようだし、ゆっくりとではあるが事態は前に進み出している。犬を愛する我々としても、せっかく立ち上がりつつあるこのムーブメントを絶えさせることなく、広げていく努力をしていきたい。そしていつの日か、本当の意味での「殺処分ゼロ」を達成して、人にも動物にも優しい世の中にしたいと思う。